クラッシャー・バンバン・ビガロ

新日本などで活躍したクラッシャー・バンバン・ビガロさん(本名スコット・ビガロ)が19日(日本時間20日)、米フロリダ州の自宅で亡くなっているのが発見された。45歳だった。死因は不明で、近く検視官が発表するという。195センチ、165キロの巨漢ながら月面水爆も使うなど「空飛ぶ入れ墨獣」の異名を誇り、日米で数々のタイトルを獲得した。対戦経験がある新日本の蝶野正洋(43)、全日本の武藤敬司(44)は大きなショックを受けている。
 日米両国のマットで大暴れしたビガロさんには寂しい最期だった。既に亡くなっているところを発見され、現時点では死因も不明だ。新日本の主力外国人選手で、米国でもWWF(現WWE)WCW、ECWと3大団体で活躍。01年のWCW崩壊後は、インディー団体に単発で出ていたが、最近はマット界から距離を置いていた。
 新日本マットに87年1月、初来日した。そり上げた頭に入れ墨という異様な風体に加え、月面水爆を使うなど巨体を感じさせない身のこなしでファンの度肝を抜いた。同年8月には敗れたもののIWGP初代王者アントニオ猪木の初防衛戦の相手を務めた。92年3月にはベイダーと組み、武藤、馳組からIWGPタッグベルトを奪取。一方、89年4月の第1回東京ドーム大会でソ連アマレス軍団のハシミコフ、90年2月の第2回では北尾光司のデビュー戦の相手を務め、プロレスを教え込む役目も果たした。
 ともにWCWに参戦した蝶野は「バンバンの運転する車で移動することもあった。いいヤツだったのに…」と言葉を失った。レスラーとしても高く評価。特に柔軟性は「オレやブッチャー(故橋本真也さん)が蹴っても、衝撃を吸収する感じ」と言う。さらに「ベルトを狙うならいつでも取れたのに、執着しなかった。業界を渡り歩く自由を愛するタイプだった」と振り返った。
 92年にタッグを組んでSGタッグリーグで準優勝した武藤は「日本で最初に組んだのはオレだった。全日本にも上がってほしかった。寂しくなるね」と無念そうに話した。
 米国でもWWEが公式HPのトップで死去を伝えた。プロレス界はまたひとり惜しい人材を失った。(デーブ・レイブル通信員)

昔、THE"U"-JAPAN に無理やり出場させられてたのを思い出したよ。

やりたくもないVALE TUDOに出場してボコボコにされて・・・。

悲しい思い出です。

死因はデブが一番の原因だと思うけどね。

ご冥福をお祈りします。


ショウヘイヘーイ
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