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宗男被告元秘書ムルアカ氏が格闘家に挑戦
 受託収賄、あっせん収賄などの罪に問われている衆議院議員・鈴木宗男被告の元私設秘書、ジョン・ムウェテ・ムルアカ氏(41)が、日本のプロ格闘技に挑戦する。5日、ムルアカ氏本人が「私の中には武道家の血が流れている。家庭を守り、もう1度安定した生活を取り戻したい」と明らかにした。鈴木被告逮捕に至る中で失職、収入を断たれた。209センチの巨体、ザイール(現コンゴ)時代に空手を習い、プロ格闘家として活躍した経験を生かして今月中にトレーニングを再開し、体調が整った時点であらためてプロ参戦を表明する。
 ムルアカ氏が日本でプロ格闘家への転身を決意した理由はただひとつ、生活のためだった。「今は生活が不安定です。何とか以前のように安定した生活に戻りたい。そのためには原点に戻り、武道で培ったものをエネルギーにして前に進んでいきたい」。吐き出される言葉に、固い決意がにじんだ。

 私設秘書として仕えてきた鈴木被告が逮捕されたのは、昨年6月19日。この日を境にムルアカ氏の生活も大きく変わった。自らの身にも複数の疑惑が浮上した。教員の職を失い、講演の依頼もなくなった。もちろん、秘書としての収入も絶えた。「私は被害者。生活は厳しいです。私は厳しさの中で生まれ育ってきたから耐えられます。ただ、家族は守らないといけない」。現在は夫人、3人の子どもと神奈川県内に住んでいる。生きていくため、収入を得るために戦いの場に身を置くことを選択した。

 ムルアカ氏は穏やかな表情に戻って、スポーツバッグの中から空手着を取り出した。と同時に自分の腹部を指さして言った。「私の腹筋はワニのように硬いですよ」。確かに鍛え上げたボクサーのように縦、横、きれいに8分割された腹筋は、かつて厳しい訓練を積んだことを物語っている。一連の騒動で体重は10キロほど減り、現在82キロというが「私の肉体は少しも衰えていませんよ」と体に対する自信は揺るぎない。

 「何年ぶりですかね。おそらく4年か、5年ぶりだと思います」。ムルアカ氏は空手着を手に懐かしそうに振り返った。99年に東京電機大で工学博士号を取得したが、そのためにすべてを犠牲にして学業に専念したという。97年末から練習はしていない。それでも209センチの巨体から発する威圧感で、見た目にも41歳の年齢を感じさせない。「私は常に武道と一緒に歩んできました。多少のブランクがあっても何も心配はいりません」。

 5歳から空手を始めた。ボクシング、テコンドー、柔道、レスリングとあらゆる格闘技も経験している。そして14歳の時、祖国でプロ格闘家としてデビュー。「私に勝てる人がいるとは思えない。それくらい自信があったし、強かった」と振り返るように、約50試合に出場して判定負けが1度あるだけ。勝利はすべてKOだったという。

 およそ20年ぶりにプロとして戦う。「まず、コンディションを整えたい。ベストコンディションになれば、空手以外の格闘技と交流することも構いません」。激動の02年をくぐり抜け、生活のため、家族のために体を張ろうとするムルアカ氏の目は、既にファイターの輝きを宿していた。

 ◆ジョン・ムウェテ・ムルアカ 1961年6月21日、ザイール(現コンゴ)の首都キンシャサで10人兄弟の長男として生まれる。義兄が日本大使に任命されたのを機に、85年1月に初来日。アフリカ諸国の外交官同士の交流会に出席するうちに鈴木被告と知り合った。その後18年間にわたり日本に滞在している。その間数度、祖国に短期間帰国している。日本では日本語学校に通い、自転車撤去、ガソリンスタンドなどでのアルバイトをしながら夜は空手の練習に励む。97年に東京電機大を卒業して研究員となり、99年に工学博士号を取得。その後は大学、短大などで講師を務める一方、講演会活動などで広く、アフリカの飢える子どもたちの窮状を学生、市民に伝えてきた。家族4人と神奈川県内在住。




ムルアカがんばれーーーー!!!